2011年07月28日
目前。
わたしは22年前の8月1日に大阪から上京してきました。
仕事はその前からほんの少しずつ(時々東京へ来て写真撮影したりなど)していましたが、本格的に仕事を始めるため、8月1日付で住民票を東京へ移しました。なので一応8月1日は就職記念日にしています。
毎年この日が来ると、上京した日のことを思い出します。友達には東京へ行くことは話していたけど、いつ行くということは言っていませんでした(その時点ではっきりとした日付は決まっていなかったので)。
1989年8月1日、母と妹と新大阪駅へ行くと、小学生時代からの友人か数人待っていてくれました。驚き、喜び、涙しました。
みなからそれぞれ手紙をいただき、記念写真を撮って新幹線に乗りました。
東京へ着いてから、用意してもらった住まいで10日ほど母妹と暮しました。その間、これから必要な家具や生活備品を買い集めたり、原宿で洋服を買ってもらったり、新宿をぶらぶらと歩いたり、なんだかどこかへ旅行にでも来た気分でいました。
普段は喧嘩ばかりしている妹とも仲良くいられたし、何より仕事で忙しかった母と一緒に過ごすのが楽しかった。東京という未知の街で、昼間はわたしはレッスンやオーディションに行くこともあったけど、夜はいつも一緒にご飯を食べ、狭い部屋で枕を並べて寝ていました。
こんなに楽しいのなら、ずっと3人で東京で暮らしたいなぁ、ふと思ったこともあります。
だけど母と妹はずっと一緒に暮らすわけではなく、大阪へ帰らなくてはなりません。
上京10日目の朝、その日母たちが帰ってしまうことはわかっていました。
いつも通り狭い台所で母が朝食を用意して、わたしと妹はゆっくりと食べました。数日前に原宿で買ってもらった白地に赤ストライプの夏らしいカットソーとスカートを着て、いつも通り「行ってきます」とレッスンへ出かけました。ふたりは笑顔をで見送ってくれました。
そして夕方、家に帰ってきました。鍵を開け、扉を開くと、部屋の明かりはなく、窓から差し込む赤い夕陽が床に流れるように射していました。もう母と妹は大阪へ帰ってしまったんだ。誰もいないんだ。
部屋にあがることもできずにしばらく声をあげて泣いていました。
少し落ち着いて部屋に上がると、冷蔵庫を開けました。中には母が作り置いてくれた惣菜や中身は見えないけどお鍋が入っています。
部屋も台所もおふろもトイレも綺麗に掃除してあり、どこにいても母がそこにいた形跡がありました。
それからわたしはホームシックにかかり、ずいぶん泣いてばかりいました。だけど翌日がオーディションや撮影となると、目が腫れてしまわぬよう必死に涙をこらえました。そのうち泣かなくても平気になってきました。
仕事がわたしを強くしてくれたのだと思います。
あの時小学生だった妹は、今そばでわたしのマネジャーとして、わたしを支えてくれています。
母はあいかわらず仕事をし、今年は節目の年になるそうです。(母は年齢はあまり言いたくないそうなので言いませんが、いわゆる年齢の節目です)
ということで、今年来年あたりで何かお祝いしよう、と妹と話しています。
なんかいろんなことがあったけど、無事居てくれて、自分たちも無事居られて、こういうのを幸せというのかもと思います。特別なハッピーではなく、苦しいことや辛いことの中に、ちょっとだけある平穏な時。
人生のささやかなひとときを家族で祝えるのはよいなぁ、と。
わたしも22年目の夏を無事迎えられそうで、嬉しく思います。
自分の無力さに情けなくなる日もあります。あまりのナマケモノっぷりに自分で呆れる日もあります。そういう駄目な自分を認識し、なんとか帳尻あわせしようと、と考えます。つまり結果オーライであればよし。もちろんその経過は大事だけど、結果を求めた結果的な経過(よくわからなくてすみません。どうにも記せません)は華麗でも、美しくなくともいいのです。
みっともなくとも、この自分でいるしかない。そのうえでこれからも歩いていきたいと思います。
いつも応援してくださっている皆さん、ありがとうございます。皆さんのひとりひとりがいなければ、今のわたしはここに居ません。わたしの歩みは、わたしだけのものではありません。どうもありがとうございます。
間もなく訪れる就職記念日は、感謝の日です。