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2012年01月04日

2012年。

新しい年が明けました。本年もよろしくお願いします。

年末年始は家族でのんびりと、と思っていましたが、昼間はなんだかんだとお出かけが続き(大混雑の初詣も行きました)、夜は夜で執筆の続き(仕事が終わらなかったのがいけないのです。。。)、しかしお正月ということでおいしいものは食べ続け(やっぱ自家製ローストビーフは最高)、心に体に胃にハードな年末年始となりました(^−^)

昨日、大阪へと帰った客人を見送ったら急に疲れが出て、そのままバタンと眠ってしまいました。

夜中に起きて執筆し、今朝は今年初ピラティスに行きました。いよいよエンジンかかってきました。
明日も明後日も締め切りだぞーがおー(と、吠えてみる)気合いで乗りきります。

2011年12月27日

どうもありがとうございました。

昨日のわたくしの誕生日には、みなさんからあたたかなお祝いの言葉をいただきまして、ありがとうございました。
こうして声をかけてもらうと、たくさんの方々に支えられているのだな、と実感します。
普段も、多くのスタッフのみなさんの支えの元で仕事が行われているとわかっていますが、どこかでこんなわたしを見ていてくれるみなさんがいてくれる、そのことがとても嬉しいです。

ご存知の方もいますでしょうが、今年5月に亡くなった児玉清さんも12月26日の生まれで(届は1月1日だそうですが、実際はこの日と伺いました)ちょうど40歳の年齢差がありました。児玉さんが好きだった藤沢周平さんも同じ誕生日。いつか二人で藤沢周平作品の朗読会をやりたいね、と児玉さんは話していました。

はじめて児玉さんとの年齢差を縮めてしまった12月26日でした。このまま年を重ねていけば、どんどん差を縮めていくのだなぁ。。。まだ何とも言えない気持ちです。

そして昨日は祖母の命日でもありました。

おとといの「クリスマスの約束」を見ながら、本当にうれしくて幸せなのはほんのひとときなのだ、と思いました(あ、別に毎日新聞の読書コラムとは関係ありません。あちらは「ホンのひととき」)
良い歌を聴いている時、本を読んでいる時、楽しい会話をしている時、おいしいものを食べている時、お風呂でゆったりしている時、こうして並べると、細切れに日常にあります。幸せなひととき。

そのひとときを過ごすためには、結構辛い時を越えなければなりません。睡眠時間を削って、色々考えたり、アレコレ覚えたり。ほんと投げ出したくなるのをこらえて、修行するような思いで耐えています。
でも自分が好きでやっているうちの「耐える」だから、出来るんですね。

仕事以外では、数年前にやり始めたことのゴールがやっと見えてきました。
まだ時間はかかるし、これまで以上に大変な日々が待っているだろうけど、ここまで耐えてきた分の力がついていると信じて、荒波を乗り切っていきたいと思います。

新作小説も年内に第一章を書き終える予定です(まだこちらも先が長いけど)

児玉さんのことを思うと涙が出るけど、やっとお墓参りにも行けそうです。いろいろ報告したいと思います。

年内に更新できるかなぁ。わからないので念のため

「みなさん、よいお年を」

2011年12月12日

12月雑感。

先月末から予定が過密状態。
いつもは、締め切り予定を付箋に書いてパソコン周りに張り付けているのですが、先月から来年1月までの予定を妹に頼んで、締め切り順に一覧にしてもらいました。プリントアウトして、本棚に張り付けています。
最初からこうしておけばよかった。。。大変わかりやすい。終わった順にチェックを入れています。
締め切り以外にも大阪出張、ラジオ収録、テレビ収録が挟み込まれ、書いた原稿のゲラチェック、とあり、先週末まで「わたしは無事に10日を迎えられるのか。。。」と一人不安になっていました。
こうしてダイヤリーを書いているということは、無事終わった証拠(^−^)あぁ、ホッとした。それもつかの間、今週は締め切りと収録が重なっている。ということは、早く書かなければならないし、読まなきゃならない。

忙しいというのは、有難いのですけどね。いつも思うけど、ほんと「キリ」というのがない。これでいい、という基準もない。とにかくやれるだけいつもやりつくしている、という感じ。
これも自分で選んだ道だし、そのことに不安はあれど、不満はありません。15歳からずっとこうしているのですから。。。

早いもので、今月は誕生日月。同じ誕生日の児玉さんがいなくなってはじめての26日がやってきます。
この日は祖母の命日でもあり、今年は特にしんみりしてしまいそうです。


雑感なので、アレコレお話しが飛んでいます。

小説を書き始めています。読むのも好きだけど、書くのも好きだなぁ、大変だけど。

知人がFace bookをはじめ、誘われたけど、まだそっちに行けません。

ツイッターもそれほど頻繁に書きこんでいないし。特に調子の悪い日は書けません。10月に悪くなった耳は、残念ながら完璧に回復するには至りません。耳鳴りはなくなったし、聴力もほぼ戻ったのでよかったけど、耳のせいでどうも神経が過敏になったのかもしれません。どういう状態かというと、体調不良の時や寝不足の時、耳の奥がせまくなって、集中力がなくなり、ぼんやりとしてしまうのです。それでいて、見えないもの(音や気圧、天候、寒さ、新幹線や飛行機移動)の変化が耳に直撃!影響与えているようで、とても面倒くさい状態。
10月は外出もできず、引きこもり状態でしたしね。。。あの時の神経過敏ぶりは、自分でもどうにもなりませんでした。ちょっとした音、話し声で心がささくれて苛立っていました。
今はそれよりましだけど(辛い時は耳栓しているからです)、耳のことなので、他人からはわからないし、説明も難しいし。自分でも調子のいい時は忘れていて、突然「あ、耳が変だ」と思い出しているし(*_*)。


年末は、両親が遊びに来る予定です。
つい先日母の誕生日祝いを大阪でしたところです。親元を離れて暮らす年月のほうが長くなり、互いの誕生日を共に祝うなんてことは、めったにありません。今回は母の節目の年だったので、はじめての盛大なパーティーを開いていただきました(開いていただいた、というのは、母を慕ってくださるお仲間のみなさんが先導してパーティーが実現したため、こういう表現になっています)。

本来なら家族がすることなんでしょうが、こうして母を慕ってくださった皆さんの気持ちに触れることができて、本当にうれしかった。母はわたしたちの母というだけではなく、みんなの「おかん」(お母さん)なのだとわかりました。

というわけで、原稿に戻ります。


2011年11月12日

児玉さんの切り絵カレンダー2012

昨年末、「週刊ブックレビュー」の特大号の収録のとき、児玉清さんの楽屋をお訪ねしました。

その際、児玉さんからいただいた切り絵カレンダー(2011年版)。年が明けるとすぐ、部屋に飾りました。

月が変わるたび、鮮やかな切り絵があらわれました。3月に児玉さんが入院されてからも、カレンダーに向かって、「児玉さん、早く帰ってきてくださいね」と願っていました。残念ながら、児玉さんは遠くへ行ってしまいました。

あまりのショックで、しばらくカレンダーを見ることができませんでした。そして書棚に作った児玉さんコーナー(児玉棚と呼んでいます)にカレンダーを仕舞っていました。

先日、来年度の児玉さんの切り絵カレンダーができたことを教えて頂きました。
嬉しくて嬉しくて、さっそく書棚に飾っています。まだ年が明けていないので表紙のほうを向けて。

切り絵カレンダーが気になる方、こちら児玉清事務所のHP http://www.office-kodama.co.jp/ をぜひのぞいてみてください。

わたしは一部頂いたのですが、実家の分と友人知人に配る分を早速ネット注文(^−^)

クリスマスプレゼントにもぴったりだと思います。

2011年10月29日

突発性難聴、その後。

暖かい日が続いたと思ったら、いきなり寒くなる。急激な気温の変化についていくのに必死です。

耳の具合ですが、少しずつ回復しております。
突発性難聴は2度罹らない、といわれているそうです。ですから11年ぶりに再発したといっても、これを突発性難聴と呼んでよいのかわかりませんが、他に病名もつけられないので、とりあえずそういうことにしております。
11年ぶりの難聴は、なかなかしぶといものでした。この病気の治療には通常ステロイド剤が使われるのですが、この副作用がかなり辛かったです。顔はパンパンに腫れるし(ほっぺが張り出すアンパンマン状態)、めまいとふらつきにおそわれ、ひどい時はただ歩くだけでも辛かったです。横になるのもしんどいし、一度寝てから起き上がるのがまた一苦労。つまり、何をするのも辛い。耳鳴り、耳閉感から24時間逃れられない。

人と会う仕事は、とりあえず延期してもらい、家の中でできることー執筆は少しずつすすめていました。何をするのも辛いけど、何もしないのも、また辛いのです。一番ましなのが椅子にまっすぐ座っている状態。その姿勢のまま、パソコンに向かっておりました(本当はパソコン仕事も控えるべきなのかもしれませんが)。


薬は最大限飲んだのですが、症状が良くならず、薬と併用する形で鍼灸院へ通い始めました。
その治療が体に合ったようで、少しずつよくなってきました。耳鳴りが治まったのが、発症して一ヶ月後。24時間悩まされていたあの音がいなくなった(耳の中からいなくなった、というのがしっくりくる)時、なんというか、感動してしまいました。あぁ、耳鳴りがいなくなった。本当によかった、と。

聴力もかなり回復してきました。

まだ耳の奥の違和感はあり、エレベーターや電車に乗ると、耳の奥がキシキシときしむ感じがします。
でもひどい状態のころと比べれば、雲泥の差。
ふらつきがひどい時は、ひとりで道路に面する道を歩くことも怖くて、家を出られませんでした。
そのせいでひどく体力が落ちてしまい、少し症状が治まった後も、ちょっと歩くだけで疲れていました。

やっと体力も戻って、耳に影響がない程度の運動(主にピラティスとお散歩)をしています。薬の副作用も消えて、アンパンマン顔から脱出(アンパンマンに恨みはないけどね)しました。

今月仕事でお目にかかった皆さんに「大丈夫ですか?」と心配の声をかけていただき、なんというか、本当に申し訳なかった、と思っています。皆さんを不安にさせてしまいました。。。
わたしと同じ難聴でお悩みの方からもメールをいただき、その経験を読んで、励まされました。

難聴は、ただ耳が聞こえずらいだけでなく、耳鳴りや耳閉感が伴うこともあります。めまいやふらつき、薬の副作用については上記のとおり、その他騒音(音楽、子どもの声や大きな声など)、天気の変化(気圧の変化)なども、かなり影響があります。

(アンパンマン顔はのぞくとして)突発性難聴は見た目には、わかりにくい病気です。症状が出たら、早めに病院に行き、治療を始めなければ治らない、といわれています。もし突然、片方の耳が聞こえにくい、耳鳴り(蝉が鳴くような音とか、ゴーッという強い風の音など)がしたら、すぐ耳鼻咽喉科へ行ってください。
命に別条がない病気ですが、だからといって放っておいてはいけません。ストレスが病気を引き起こす要因と言われています。ストレスのない社会などないでしょうから、防ぎようがないのだけれど、とりあえず早期に発見すれば、治る確率が高くなります。


長々と書いてしまいました。まだ治療中ですが、こうして少しずつ回復していることを、心配をかけた皆さんにお伝えしたくて書いています。また突発性難聴の辛さ、怖さをお伝えすることで、いざどなたかの身に起きた時、早めに対処していただけたら、と思います。

来月は難聴後、初めて新幹線出張があるので、それまでにもっと良くなっていたいです【新幹線(特にのぞみ号)は、あんまり耳によくないそうなので。。。】個人的に楽しみな出張、ということもあるので、万全の体調でお出かけしたいしね。あまり無理せず、頑張ります。

2011年10月02日

金木犀の季節です。

金木犀の香る季節。10月になりました。結局9月は更新できませんで、申し訳ない。。。

さきほど日経WOLのブログに書いたのですが、耳の具合が悪くなって、かなりまいっていました。
それまでは結構アクティブに過ごしていたのですけどね。。。温泉に行ったり、はじめてのメンバーと食事に行ったり、すばらしい先輩女性とお話して刺激を受けたり、と。

今年を振り返るのはまだ早いけど、ストレスが多い一年であったことは確かです。3、11の震災、5月の児玉さん逝去、節電による生活の変化、猛暑、挙げればきりがありません。でもそれはわたしだけではなく、他のみなさんにもそれぞれのストレスがあると思います。

そういう日々の中で、突発性難聴になり、今日金木犀の香りに触れました。

心が洗われる、というのはこんな感じなのかもしれません。なんだかとても、ホッとしました。

秋は新しく読書日記の連載が始まります。「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)にて、5人でのリレー連載形式。新作小説の執筆もまもなく取り掛かる予定です。

来年の今頃はどうしているかなぁ、とふと考えますが、考えても何にも浮かびません。安定した仕事ではないし、今回のように急な体の不調に戸惑っているかもしれません。
でも、ま、自分で選んだ仕事ですしね。何が起こるかわからない、ということ自体を楽しみにして進もうと思います。
短い金木犀の季節は、心を新たにしてくれました。

2011年08月21日

母のこと。

猛暑一段落。短い夏休みも終わり、日常生活に(なんとか)復帰しております。

わたしは今年4月に大阪へ帰ったので、この夏は妹が大阪へ。
別に交互に帰る、ということでもないのですが、妹は高校、大学時代のお友達と会う約束もあり、ひとりで行ったわけです。(姉妹のどちらかが親元へ行くことで、この度残った方としても、無事娘の役割を果たしたぞ、という気になります。妹よ、ありがとう)

両親と妹は、神戸へ遊びに行ってきたそうです。あとから妹に聞いたのですが、母が神戸の観光地で何やら熱心に探していたそうです。
母「これ、どう思う?」とガラス製のアクセサリーや携帯ストラップを妹に見せました。
妹「え、何するのん?」お土産や工芸品などにほとんど興味を示さない母が珍しく言うので、尋ねたところ、
母「ゆきえに(わたしのことです)、似合うかなと思って」

この話を思い出すたび、どーっと涙が出たこと数知れず。。。

ま、いろいろあって、結局買わずに帰ってきたそうですが(*^_^*)、暑い神戸で、東京に居るわたしのことを思い出してくれたんだなぁ。。。嬉しかった。

前回書いたように、わたしは15歳で東京に出てきたので、大阪で暮した期間、つまり家族と暮した期間も15年間。いまや母たちと離れて暮らしている月日のほうが長くなっています。
妹とは、東京ー大阪と10年ほどの別れののち東京で合流(^−^)し、今や仕事、プライベートと会わない日がないほどですが、母とは半年に一度会えればよいほう。電話やメールも、母の方が忙しくて、なかなか出来ていません(わたしが電話やメールをしても、返信が少ない!)


先月、母にちょっとした体調の変化があり、電話で報告された時は、本当に驚きました。そのちょっと前から、電話やメールでの母の様子が少し変だという気はしていたのです。
母は、過去に(もう離れて暮らしていた時期です)過労で入院した時も、東京のわたしに心配かけまいと毎日病院の公衆電話から電話をかけてきて、そのことをわたしが知ったのが、無事退院したのちであった。。。ということもありました。

母「実は000というような症状があるんやけど、ネットで調べてくれないか」
とにかく病院に行くように、と言いつつ、ネットであれこれ調べてしまいました。こういう時、悪い情報ばかり目に入るものです。。。

母はかかりつけ医院に紹介状を書いてもらい、その後、総合病院に行きました。そして今月のお盆(15日)に検査予定となりました。

たぶん相当おびえていただろうに、検査前に行った神戸では、わたし用のお土産を探し、立ち寄った神社ではわたしの仕事の成功祈願をし、わたしのことばかり話していたそうです。自分の健康祈願より、わたしの仕事の心配してくれる母。もし逆の立場なら、自分の健康不安が先立つだろう、と思いました。

ありがたいものです。離れていても、そんなに思ってくれているなんて。

で、検査日を迎えました。(今思えば、付き添って行けばよかった)

そして。。。「あれ、症状がなくなっているので、検査しなくていいですよ」とお医者様。

母からハートマークだらけのメールが携帯に届きました。。。

症状が出た時は、痛くて辛くてご飯が食べられない、と嘆いていた母ですが(飲めぬ母の楽しみは食)、ここ最近は「もう大丈夫やでー」と言っていました。
大阪の妹から届いたメールに添付された写真には、山もりのかき氷を前に笑う母の写真。。。どう見ても辛そうじゃない。
よかったね。何でもなくて。

母が元気に仕事して、毎日おいしく食べて、ぐっすり寝ていてくれたら、それだけでいい。あらためてそう思いました。


2011年07月28日

目前。

わたしは22年前の8月1日に大阪から上京してきました。
仕事はその前からほんの少しずつ(時々東京へ来て写真撮影したりなど)していましたが、本格的に仕事を始めるため、8月1日付で住民票を東京へ移しました。なので一応8月1日は就職記念日にしています。

毎年この日が来ると、上京した日のことを思い出します。友達には東京へ行くことは話していたけど、いつ行くということは言っていませんでした(その時点ではっきりとした日付は決まっていなかったので)。

1989年8月1日、母と妹と新大阪駅へ行くと、小学生時代からの友人か数人待っていてくれました。驚き、喜び、涙しました。
みなからそれぞれ手紙をいただき、記念写真を撮って新幹線に乗りました。

東京へ着いてから、用意してもらった住まいで10日ほど母妹と暮しました。その間、これから必要な家具や生活備品を買い集めたり、原宿で洋服を買ってもらったり、新宿をぶらぶらと歩いたり、なんだかどこかへ旅行にでも来た気分でいました。

普段は喧嘩ばかりしている妹とも仲良くいられたし、何より仕事で忙しかった母と一緒に過ごすのが楽しかった。東京という未知の街で、昼間はわたしはレッスンやオーディションに行くこともあったけど、夜はいつも一緒にご飯を食べ、狭い部屋で枕を並べて寝ていました。
こんなに楽しいのなら、ずっと3人で東京で暮らしたいなぁ、ふと思ったこともあります。

だけど母と妹はずっと一緒に暮らすわけではなく、大阪へ帰らなくてはなりません。

上京10日目の朝、その日母たちが帰ってしまうことはわかっていました。
いつも通り狭い台所で母が朝食を用意して、わたしと妹はゆっくりと食べました。数日前に原宿で買ってもらった白地に赤ストライプの夏らしいカットソーとスカートを着て、いつも通り「行ってきます」とレッスンへ出かけました。ふたりは笑顔をで見送ってくれました。

そして夕方、家に帰ってきました。鍵を開け、扉を開くと、部屋の明かりはなく、窓から差し込む赤い夕陽が床に流れるように射していました。もう母と妹は大阪へ帰ってしまったんだ。誰もいないんだ。
部屋にあがることもできずにしばらく声をあげて泣いていました。

少し落ち着いて部屋に上がると、冷蔵庫を開けました。中には母が作り置いてくれた惣菜や中身は見えないけどお鍋が入っています。

部屋も台所もおふろもトイレも綺麗に掃除してあり、どこにいても母がそこにいた形跡がありました。

それからわたしはホームシックにかかり、ずいぶん泣いてばかりいました。だけど翌日がオーディションや撮影となると、目が腫れてしまわぬよう必死に涙をこらえました。そのうち泣かなくても平気になってきました。
仕事がわたしを強くしてくれたのだと思います。

あの時小学生だった妹は、今そばでわたしのマネジャーとして、わたしを支えてくれています。
母はあいかわらず仕事をし、今年は節目の年になるそうです。(母は年齢はあまり言いたくないそうなので言いませんが、いわゆる年齢の節目です)

ということで、今年来年あたりで何かお祝いしよう、と妹と話しています。

なんかいろんなことがあったけど、無事居てくれて、自分たちも無事居られて、こういうのを幸せというのかもと思います。特別なハッピーではなく、苦しいことや辛いことの中に、ちょっとだけある平穏な時。
人生のささやかなひとときを家族で祝えるのはよいなぁ、と。


わたしも22年目の夏を無事迎えられそうで、嬉しく思います。
自分の無力さに情けなくなる日もあります。あまりのナマケモノっぷりに自分で呆れる日もあります。そういう駄目な自分を認識し、なんとか帳尻あわせしようと、と考えます。つまり結果オーライであればよし。もちろんその経過は大事だけど、結果を求めた結果的な経過(よくわからなくてすみません。どうにも記せません)は華麗でも、美しくなくともいいのです。

みっともなくとも、この自分でいるしかない。そのうえでこれからも歩いていきたいと思います。

いつも応援してくださっている皆さん、ありがとうございます。皆さんのひとりひとりがいなければ、今のわたしはここに居ません。わたしの歩みは、わたしだけのものではありません。どうもありがとうございます。

間もなく訪れる就職記念日は、感謝の日です。


2011年06月20日

続いていきます。

気付けば、もう6月もあと10日。夏が近づいてきています。
夏が近づくとともに節電という言葉があちこちに飛び交っています。どういう節電が一番効果的か、と4月の終わりに実家へ帰った時、父に聞いたら
「そら、元を切るのが一番や」
元。テレビの電源から切る、つまり待機電力をなくすということか。
「違う。元から落とすんや」
父いわく、ブレーカーのところには、アレコレスイッチがあって、中に予備電源というものがある。それを切るだけで節電になる、とのことでした。

「ほんまかいな」と思いつつ、帰京後すぐにやってみました。一ヶ月後に来た電気代。。。や、安くなってる。

それ以来特別節電らしいことはしていないけど、いくつか予備電源のスイッチを切っただけで、昨年の同じ月より電気代が下がりました。。。とはいってもそれぞれの家庭には、それぞれの電気の使い方があるでしょうから、わたしの真似しなくてもかまいません。こういうやり方もあります、ということをちょっと書いてみただけです。

今週はブックレビューの収録があります。児玉さんがお亡くなりになってから、追悼の回がありましたが、わたしにとって初めての通常のブックレビュー収録。4月の第一回目、そして先月14日の回は、もともと児玉さん登板の回でした。
今年度は児玉さんの後任の方はたてず、藤沢周さん、室井滋さん、そしてわたしの3人で司会を務めます。

近年のブックレビューは4人の司会者をたてていますが、児玉さんが隔週で担当されていた時期もあります(何と8年間も)。しかし本を読むだけでなく、読みこんだ上で司会を務めるのはかなりの重圧です。
最初はたくさん本が読めることが嬉しかったそうですが、だんだん厳しくなってきたとのことです。(このあたりのことは児玉さんの「寝ても覚めても本の虫」に書いてあります)

で、現在のスタイルになったそうです。わたしは2004年度から5年間毎週出演し、毎週取り上げる本を読んでいました。番組加入当時はスタッフの方に「無理して全部読まなくてもいいから」と言われましたが、わたし自身が「読まなくては、あの席には座れない」という気持ちでいました。だから今週は厳しい、と思う時も、とにかく読みました。無理して読みました。

しかし無理して読むのはあまりよくありませんね。でも無理したからこそ、今があるのだとも思います。
必要な無理、かもしれません。

児玉さんにも「いつか挫折するかと思ったけど、しなかったね」と言われました。そしてサブ司会からメイン司会へうつる時、不安なわたしの背中を押してくださいました。

寂しさは消えませんが、前に進んでいかなくてはなりません。時間は続いています。ブックレビューも続いています。わたしも続いていかなければ。今週土曜日の放送、よかったら見てくださいね。

2011年06月13日

梅雨ですね。

東京は梅雨の最中です。蒸し暑いような、肌寒いような、判断のつきにくい気候が続き、寝間着の種類に迷います。
今のところは、長袖、長ズボン。素材はコットン。寝る前は長袖だと蒸す感じがあるのですけど、明け方は少し冷えるので、風邪をひかないためには、こうするのがよいかと思います。

どうかみなさんも風邪をひかないよう、大事になさってくださいね。