中江有里 :: Diary From Yuri

2007年05月 Archives

2007年05月31日

恐怖。

自動車で走行中、突然ひょうが降ってきた。

最初は雨かと思っていたけど、フロントガラスに打ち付ける音のすごさに驚いてガラスを注視すると、小さな氷の塊がいくつもくっついている。
雨もざんざん降って、視界がぼやけていた。。。あたりは日が落ちてもう暗くなってきている。
注意してスピードを落として走っているけど、景色も白線もどんどん見えなくなってきた。。。どうしよう、怖くてたまらない。その時、

「目、つぶっててもいいよ」と、運転する妹が言った。
「え。。。?」
「怖いんだったら、目をつぶってたら?」


実は前にもこういうことがあった。
その時は、高速道路上でどこかに車を止めたくともとめられず、延々と車を走らせていた。
怖くて怖くてたまらなかった。その時、妹が「怖かったら、目をつぶってたら」と言ったのだ。

わたしはスピードの出る乗り物が、基本的に苦手だ。
そういう意味では自動車はどうなの、とも思うけど、自動車はバイクよりは安全だし、自分で運転してスピードを出しすぎることはない。
しかし悪天候で視界不良、自分ではどうしようない状況で乗り物に乗るのは恐怖だ。


わたしは目をぎゅっとつぶった。高速道路を走っている感覚と、リズミカルにジョイントを超えるリズムだけが身体に振動してくる。少しずつ恐怖が消え、いつのまにか眠っていた。。。


今だから話せるのんきなエピソードだが、その時は本当に死ぬ、と思うほど怖かったのだ。
それを目をつぶるだけで恐怖から開放されたなんて、アホな話だが、これにはドライバーを務めている妹への絶対的な信頼がある。運転技術への信頼、
彼女はぜったいわたしを死なせないし、彼女なら大丈夫、なんていう何の根拠もない信頼。

もしかしたらあの時、無事であったのは、ただ運がよかったからかもしれない。

姉妹で仕事をするというのは、時にこういう危険があると、共にさらされる恐れがあるのだ。
親からすれば、二人の娘に何かあったらそれこそたまらないだろうな、と思う。
だからといって、別々にいることで共に危険にさらされるリスクを減らす、というのもヘンテコな話。


ただ不思議なのは、わたしが何も言ってないのに、妹はわたしが感じている恐怖を感知したということ。

車を降りてから、実は自分も怖かったんだ、と妹は笑った。

これまでも何度も思ったが、この人が妹でよかったな、と、また思った。

2007年05月29日

がんばりどころ。

NHKアナウンサー有働由美子さんがアメリカに行かれるとのニュース、ご覧になりましたか?
アナウンサー職のまま、特派員として異動されるそうです。


昨年「スタジオパークからこんにちは」という番組で、有働さんにお目にかかり、初対面で固くなっているわたしを、変な遠慮もなくどんどん開いていかれる方だなぁ、とインタビューを受けながら思っていました。

その後、わたしの誕生日に直筆のお祝いファックスを送ってくださったりして、なんと律儀な方、と感動。(毎日番組でいろんな方に会うのに、そんなに気を使って大丈夫なのかしら、と心配しましたが)
それなのに!3月22日の有働さんの誕生日にわたしは何もせず。。。我ながらひどい。

それ以来、テレビでお見かけするたび気になっていた有働さん。(NHK内で偶然会わないかな、なんて思っていましたが会えませんでした。。。)
冒頭に書いた記事を偶然目にし、思わず応援メールを送ってしまいました。
今日、有働さんから返信をいただきました。有働さんらしい明るい文面でした。

勝手な想像ですが、この時期に新天地へといかれるのは、有働さんにとってこれまで以上にパワーが必要になるのだと思います。それでも果敢に挑戦される有働さん、かっこいいです。


昨年の忙しさの反発で、最近はのんびり過ごしていたわたしですが、有働さんのパワーを少しでも頂き、頑張らなきゃ、と思いました。
人生はのんびりする必要があるときもあるけど、頑張りどころだってあるよね。

2007年05月27日

しあわせな時間。

1日のうちで、しあわせな時間は、就寝前に読書をする時間だ。

もう何の用事もなく、いつ寝てもいいけど、すぐには眠らず、小さなあかりをつけて本を開ける。
あんまり疲れていたりすると出来ない。あんまり元気だと、横になる気もしないので、適度に疲れは感じていてもいいけど、余力がある状態がいい。
時間にせかされ、仕事用の本を読む日もあるけど、本当は自分チョイスの好きな本をぼーっと眺めるように読むのがいい。

朝、目覚ましがなる少し前に、自然と目が覚めるのも、いい。
これからの季節はちょっと暑くなって来るので、暑さで目が覚めることもあるだろうけど、理想は暑くも寒くもなく、ここちよい温度の中でふっと夢から覚める状態。
でも、最近あんまり夢を見ない、というか、覚えていないんだろうけど。
一時、夢日記をつけるくらい、連日夢見放題だったのになぁ。懐かしいあの日々。。。

雨降りが続く梅雨は、ゆううつになることもあるけど、雨が屋根や地面を打ちつける音は心地いい。
最近は聞くだけで眠れるCDがあるらしいけど、わたしは水の流れる音だけでいいかもしれない。


延々と苦しんだ末に、原稿枚数ピッタリに書き終わり、思わずガッツポーズ。これもしあわせな時間。
さぁ、ちょっと休もうっと。。。

2007年05月25日

こんにちは、母さん。

明日から児玉さんがご出演のNHKドラマ「こんにちは、母さん」が放送されます。

このドラマは二兎社の永井愛さんの戯曲をドラマ化したもので、数ある永井さんの作品の中でも、わたしがとても好きな作品。舞台というのは公演時期や舞台のキャパシティもあり、同じ作品について誰かと気持ちを共有できることが少ないです。だからこそ、いいのかもしれませんが。
今回は広くご覧になれるテレビという媒体を通じ、この気持ちを分かち合えるかも、とこうして書いております。

児玉さんから「今度こういうドラマに出るんだよ」と、お話を聞いた時は思わず「きゃーーーそれはわたしが永井さんの作品で、一番好きな作品なんです!児玉さんが出演されるとはとても嬉しいです!」ひとりで興奮してしまいました。今考えると赤面。。。

もちろん舞台とドラマでは違う部分もあるでしょうから(舞台では描けても、テレビではさまざまな誤解を生みそうで難しいかもと思うところもありましたし)新たな気持ちで拝見させていただこうとと思っております。
「こんにちは、母さん」の舞台を見た時はラストシーンで涙滂沱として流れました。
どうして泣けてくるのか自分でもよくわからない。感動しているとか、胸が詰まるとかとも違って、ただ涙があふれて仕方がありませんでした。

全然毛色は違いますが、映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」を見たときも、そんな感じでした。本を読んでいてそういう状態になることもしょっちゅうです。
琴線にふれる、というのはこういうことなのかもしれません。


わたしもいつか、琴線に触れる作品を書きたいです。

2007年05月24日

証拠写真。

昨日の日記を書き込んでから、ものすごくタイ料理が食べたくなりました。

で、行って来ました。タイ料理。

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 タイトル 生春巻きとわたし。。。。すいません。光が足りず多少ぼけてますね。

だから、他人が食べたもの話をされても、味わかんないし実感ないって言ったじゃないか!昨日、自分でさ!


あ、そうでしたね。。。すみません。でも美味しかったです。

2007年05月23日

ポルトガル

生まれて初めてポルトガル料理を食べました。

日本で食べるとはいえ、初めて食べる異国の食べ物。どんなものなのか興味津々。

その昔、はじめてタイ料理を食べた時、味、素材、見た目のすべてに衝撃を受けました。そしてこんな変なにおいの葉っぱ食べられない!とタイ料理とは絶交しました。それが今ではタイ料理が無性に食べたくなる、香菜大好きになって、わたしも大人になったなぁ?と思います。

話は戻ってポルトガル料理をひとつ紹介。

portugal.JPG
バカリャウ(干し鱈)とお野菜の土鍋煮。魚のうまみと野菜の甘みが相まってひじょうにおいしかったです。

他にもたこのリゾットや、マグロの南蛮漬けなどいただきましたが、どこか日本的で馴染みのある味。南蛮漬けはポルトガルから伝わったものなんですね。天ぷらもそう。すっかり日本のものだと思っていました。


こんなことを書きながら、他人が食べたものと、夢の話はつまらない!と思われるかもなぁと危惧しております。どんなに聞いても味はわからないし実感わきませんし。しかし、続いて夢に関わる話をしてみます。つまらない、といわず読んでください。


映画「恋愛睡眠のすすめ」を見てきました。
この映画は「エターナル・サンシャイン」というわたしの大好きな映画監督ミシェル・ゴンドリー作品。
しかし、前作にはチャーリー・カウフマンという脚本家がいましたが、このたびはゴンドリー脚本監督作ということで、どんな世界を見せてくれるのかな、と期待していました。

見終わって、「エターナル。。。」とはまったく違うと感じました。前作で好きだった部分は、わかれた恋人を忘れるために記憶除去手術を受けた元カノに対抗し、男も彼女の記憶を消そうとする。。。という設定が漫画チック?コメディか?と思わせておいて、実は、誰かを愛した記憶はそれがどんなにつらい思い出だとしても、やっぱり消してはならないし、消せないものなのだと、映画のラストでは救われる思いをしたところ。


今回の「恋愛催眠。。。」はストーリーはそれほど複雑でもないし、結末もひじょうにあいまい。主人公の見ている夢(願望)と現実が入り混じって、見ているほうにもどこまでが現実か夢か、わからないようにしている?っていう気がしました。
なんだかよくわからないまま劇場を出て、掲示板にあった監督のインタビューを読んでみました。
仕事も恋もうまくいかない主人公の見る夢は、監督の夢そのものだそうで。。。なるほどね。確かに夢って見ている本人はそれがどんなに矛盾だらけのストーリーでも何の矛盾も感じないで、それが夢かどうかもわからないまま見ている。そんな夢をそのまま映像化してみたそう。だからこの映画はファニーでロマンティック。懐かしい手作り感があって、甘く優しい。人の夢って面白いです。そしてインタビューにはこうも書いてありました。
会話の80パーセントは、自分と自分でするもの(かなりアバウトです)。
わたしもそうだなぁ、と思う部分があります。他者と会話しているようで、自分に話しているときがある。もちろんどんな相手でも出来ることではないけど。自分の無意識を引き出してくれる相手がいると、会話は外に、内にどんどん広がります。稀有なことですが。


たとえば映画とか舞台とか本でも、そのものを楽しみながら、並行して自分の中の思考がどんどん肥大し、そんな様子を客観視している自分がもうひとり現れる、という感じがわたしは時折あります。
決して集中していないわけではなく、どちらかというと集中しすぎて、現実感を失っている。ひとり映画館の一番端の席(いつも端の席に座るので)に座っている自分が、上映中は映画を観ながら、ここではない違う世界に持っていかれていく、それが楽しかったりする。


こんな話も自分の夢というか、思考を説明しているだけですが、人の考えていることって見えないから興味があるし、知りたいと思います。


と、いうわけで何の落ちもない日記でした。
「もしもし」が好評だったのですが、毎日あんなにオチのある話は書けません、残念ながら。
大阪に行くと、ああいうこといっぱいあるんですけどねぇ。。。

2007年05月21日

先生道。

NEWSでもお知らせしておりますが、明日から数日「先生道?初恋の先生」が放映されます。

BS?iの多聞Pから以前「スパイ道」というドラマをちらっと見せていただいた時は、短くとも面白い世界が構築できるのだなーと感心しつつ笑わせてもらっていたのですが、まさか自分が「スパイ道」の次に制作する「先生道」を書くとは思いませんでした。
書いたのは約一年前です。時折書かせてもらっている「恋する日曜日」は30分のラブストーリー。短いようで長い30分のドラマを四苦八苦して産んでいますが、この「先生道」は5分間のドラマ。しかもまたもやラブストーリー。間違いなく短い。

「起承転結の起と承だけとか、転と結だけで書いてみて」とアドバイスされ、悩み悩み書いたら、あっけなく第一稿で決定稿になってしまいました。

サブタイトル通り女子高生の恋話ですが、ちょっとストーカー愛も入っています。
よろしければ、ごらんください。

2007年05月20日

以心電信。

Human Audio Sponge(HAS)の参加したスペシャルコンサートに行きました。
HASとは、YMOのお三方のユニット。ということで、コンサートではYMOの曲もいくつか演奏され、中でも最初の曲「以心電信」はいまだに頭の中を回っています。念のため言いますが、誤字ではありません。
「自助」ー自分で自分の身を助けることーをテーマにした曲です。人を助けないで自分を助けろ、というメッセージがこめられているそうですが、そうはっきり言うのはなんだか勇気が要ると思いませんか。
人の為に、とか無償の愛、とかって言葉が美しいでしょ。自分より人が大事ってほうが聞こえがいいですから。
自分を大事に出来なければ人を大事に出来ない、自分を愛せない人は人を愛せない、とか言うけど、その愛とは、必ずどっちがか先に来るものなんでしょうかね。。。難しい。


話は変わって、映画「主人公は僕だった」を見てきました。
評判がよかったので気になっていたんだけど、エマ・トンプソンが出ると聞いたら見ないわけにはいきません。わたしにとってもエマ・トンプソンは目標の方ですから。
女優であるエマ・トンプソンが脚本を書いていると知り、「そうか、俳優が脚本を書いてもいいんだ」とわたしに脚本を書くきっかけと勇気をあたえてくれました。というわけで勝手に感謝しているのです。

で、感想ですが、いい映画でした。
生真面目に毎日を生きる主人公ハロルドにある日、頭の中から声が聞こえてくる。その声は自分のやることなすことを小説のように語り、やがてハロルドの死をつげるのです。。。
で、この声の主がスランプ状態の作家エマ・トンプソン演じるカレン。カレンはこれまでの作品のすべて、主人公が死ぬところで終わるというストーリーばかりを書いていて、現在取り掛かっている作品の主人公をどんな風に死なせようか悩む毎日を送っています。この小説の主人公の名前がハロルド。
フィクション(小説の中)の存在であるはずのハロルドが実在しているという、なんともSFチックなストーリー。


面白いのは、ハロルドだけに聞こえる作家の声は小説の語り部そのもので、ハロルドの人生はこの作家に支配されているとわかるけど、これは映画なので、登場人物すべての人生をコントロールしているのは脚本家であり、監督なんですよね。でも見ているうちに段々と本当は何が人生を、運命を決めているのかわからなくなってくるんです。不思議なことに。
セリフのやり取りが軽妙で素敵だったし、無理な盛り上がりを作ろうとしないところも好感が持てます。


ひとはいつか死ぬ、だから一週間後に会う約束をするより、明日会おう。。。そんな気になりました。

2007年05月18日

もしもし。

家の電話が鳴って、「もしもし」と出たら「もしもし?」と子供の声が返ってきた。
その声は嬉しそうに甲高く、男の子だか女の子だか一瞬わからなかった。「。。。誰??」
うちに電話をしてくる子供、年齢の幅を考えるとそんなに数はいない。
「ゆきおねえちゃんー」と呼ぶ礼儀正しい近所の少年か?
「ゆーきーえーちゃーん」と母親(友人)そっくりな口調で呼びかける少女?(彼女にはそのうち呼び捨てされそうな気もしている)

しかしどちらでもないようだ。それはその後の会話で徐々にわかってくる。

わたし「もしもし。どちらさまですか?」
相手の子供「。。。知らない人の声だよー(後ろにいる親に言っているよう)誰ですか?」

そう簡単には名乗れない。君から名乗りなさい、と口には出さず思った。そして会話は続く。


わたし「。。。もしもし。どちらにおかけですか?」
相手の子供「えーー知らない人の声だよぉ。。。(泣きそうになっている)」

え、泣いちゃうの?なんとなく気持ちはわかるけど。きっと君のよく知っている人が電話に出るはずだったのに、しらん女の声がしてビックリしているんだね。泣くな、落ち着け。よく話を聞いてくれ。。。

わたし「(思いっきり優しい声を出したつもり)もしもし。どこにかけたのかな?」
相手の子供「。。。知らないよ。。。(後ろに向かって)どうしよー知らない人だよー」

すると電話のうしろにいる親らしい声が聞こえる。「間違いましたって切っちゃいなさい。すみませんって」

しばし沈黙が続く。

そのまま切るな、子供よ。もし少し話をしよう。待つぞわたしは待っているぞ。

相手の子供「。。。あの。。000?0000ですか?」と述べた電話番号は我が家のそれとひとつ違っていた。
わたし「。。。おしい!ひとつ違います」
相手の子供「。。。すみません。間違いました」
わたし「(ほっとして)いいえ。大丈夫です。じゃあね」
相手の子供「はい。」
こうして電話は切れた。この辺で相手の子供は多分少年だと確信した。
「また、いつかね」と電話を切り際に思わずいいかけたが、黙っておいた。

こんなことがあって思い出した子供の頃の話。
子供の頃、わたしが電話に出ると大抵の場合、母と間違えられた。「もしもし」の言い方が母とそっくりだったようだ。それが面白くて、電話のベルが鳴るのをいつも待っていた。
ある日、我が家の電話が鳴り、いつもどおりにでた。その時母は近所に出ていてわたしは一人きりだった。あの頃の電話は黒いダイヤル式電話だった。

「もしもし、」と電話に出ると、いきなり男の声がした。
「俺が悪かった!00(場所だと思うけど、詳細は記憶から消えてます)で待っているから!」そして電話は切れた。。。

あの電話はいったいなんだったのだろう。。。いまだに気になっている。

そして別の日、祖母の家に預けられたわたし。祖母の家の電話が鳴ったので、実家と同じように電話に出てみた。

わたし「もしもし」 相手は祖母のお友達の女性だった。
女性「もしもし、はるちゃん?わたしよ」

はるちゃんとは祖母の名前。当時のわたしは多分小学3年生。えーー祖母にまで声が似てる?

それからしばらく、大人のフリして電話に出るのはやめました。

2007年05月16日

足。

いきなりだが、これがないとやってられない。それがこれ。


shoes.JPG


数年前にスポーツジム用に買い求めたシューズ。先日はこれがみつからなくてジムを休んでしまいました。
すごく軽くて、シューズを履いていることを忘れさせてくれるので、たいへん気に入っています。第2の足みたいなもの。
一度知らない方に「それ、どこで買ったんですか?」と聞かれて、教えて差し上げました。
しかし結構使い込んでいるので、そろそろ新しいものをと探しに行ったら、もう商品を作っていないとか。
がっくりです。。。もう一足買っておくべきだった。


似たようなものはいくつかあるみたいなので、このシューズが駄目になったら探そうと思います。
ちなみに一緒に写しているのは、筋トレ用のグローブ。
手のひらにまめが出来るのを防いでくれるのと、ダンベルを滑らさないよう、愛用しています。
しかしこれをつけているとものすごいスポーツウーマンに見えるらしく、(本当はぜんぜんそんなことがないので)ちょっと恥ずかしい気もします。

2007年05月15日

貸切!

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いくら人がいないからといって、通路に荷物を置いてはいけません。

2007年05月14日

ぐっと。。。

その後のその後。
顔は平気だったのですが、左肩から腕にかけてちょっと痛みが残りました。。。
今は、だいじょうぶです。


ところで大阪に行ってまいりました。
目的は色々とあったのですが、そのひとつは舞台「コンフィダント 絆」の観劇。
ゴッホ、ゴーギャン・スーラ・シェフネッケルという四人の画家と、ある女性の物語。
一幕目と二幕目の味わいがガラッと変わって、二幕目の最後で胸にぐっときた。

映画「アマデウス」におけるサリエリの悲しみを思わせる。
天才には天才の苦しみがあり、そうでない人にはそうでない人なりの苦しみがある。

端々の人までにスポットを当てた舞台だった。世の中は天才と選ばれた人だけで成り立っているわけではなく、「コンフィダント」と呼ばれる名もなき人の存在が欠かせないのだ。


大阪城公園近くの「シアターBRAVA」に行くのは初めて。
終演後、すぐそばの橋から見えた景色がきれいだった。いい舞台を見たあとは、心があたたかくなる。

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その夜はテレビで劇作家で小説家でもある本谷有希子氏を見た。著作「生きてるだけで、愛」の朗読をしていた。本谷氏が書きながらぐっときたところを朗読したのだと、解説していた。

その部分はわたしも本作を読んだ時にぐっときたところだった。書き手の思いは読み手に伝わるものだ。


ところで「ぐっと」くると二度ばかりいいましたが、「ぐっと」くるっていったいなんでしょうね。
感動するとか号泣するとか、そういうんじゃなくて、こう胸ががっちりとつかまれる、という感じかな。
うまくいえないけど。


最後におまけ。

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お土産やさんの店先にいた招き猫ならぬ、眠り猫。写真を撮っても動じず。

2007年05月12日

その後。

顔はなんともありません。ホッ。

2007年05月11日

もうすぐ母の日。

さきほど家の中で、足を滑らせ転んで、顔の左側をうった。痛くてしばらく廊下でうずくまる。。。
ようやく気を取り直し、パソコンの前に来てみた。うった部分がジンジンと痛む。冷えピタシートで冷やしてみた。
明日、顔腫れてなきゃいいけどなぁ。。。


話は変わるが、まもなく母の日です。
わたしの母は数々の迷言で笑わせてくれるラテン系の大阪人だけど、たまにいいことをいいます。


18年前、上京するために荷物をつめているうちに、急にひとりで東京に行く事が心細くなり、思わず母の胸に泣きついてしまいました。母は泣くわたしの頭を撫でながら

「みんないつかは社会に出るやろ。あんたはちょっと人より早く就職するだけやん」

このセリフを聞いたとき、わが母ながら「この人、ええこと言うわ」と感心し、「その通りかもしれん」とひとり立ちする覚悟がつきました。


この話をすると、「いいこと言うお母さんだね」といわれるので母は喜ぶのですが、こういう心に残るセリフが数えるほど少ないから、娘はよく覚えているのです。


ほかの母親がどんなものかよくわかりませんが、わたしの友人達の母親と自分の母親を比べてみると、わが母はちょっと変わっているかも、という気がします。


娘とケンカして家出するし、いつのまにか再婚してるし。
この先、母が何をしても「あの人ならやりそうだ」と変な構えも出来てます。


いつかこの母のとんでもないエピソードを小説にして書いてやろうと思っています。
母には「ママをモデルに小説を書いてもいい?」と聞いたら
母「うん。細腕繁盛記みたいなん書いてや」と言われました。


細腕繁盛記かぁ。。。知らんっちゅうねん。どんな話?

2007年05月10日

今日も一日。

ブックレビューのエンディングコーナーの収録のこと。

本番前にリハーサルをやるのですが、司会二人の感想を短く述べるところで、

わたし「今日はいかがでしたか?」ともう一方の司会者(どなたかは内緒)にうかがったところ、
「今日も一日楽しかったですねー」とお答えになりました。

わたし「一日って。。。」と思わず声が漏れました。
番組の放送は約一時間ですから、ね。一日というと、観ている方が変に思われるかも、とふと思ってしまいました。
収録は放送時間の何倍もかかかるから「今日も一日。。。」というコメントになったのはよくわかります。
お答えになってからもう一方の司会者は「はっ」とされて、「ま、リハーサルですから」とわたしも笑って、いざ本番収録。エンディング収録は滞りなく終わりました。


でも後から「あのコメントで正しいかも」と思いました。わたしも同じ気持ちだったから。

テレビは視聴者の方々に見てもらって成立するものだと思います。
見て楽しんで、いろんな意見を交わしてもらえるような番組を作りたい、とスタッフの皆さんもわたくしも邁進しております。

番組の顔となる出演者が「今日も楽しかった」といえるっていいことだと思います。
そんな楽しい空気がちゃんと画面と通して、視聴者の皆さんに伝わっていくとわたしは信じています。


「今日も一日楽しかったです。また来週も楽しめますように」


さて、読書しようかな。

2007年05月09日

船酔いではなく、

お昼に納豆ウドンならぬカレーうどんを食べたら、体の様子がおかしくなった。

頭くらくら、心臓バクバク、これは間違いなくあの症状。そう、酔っているのだ。

アルコールを摂取した覚えはない。ならばなぜ?うどんの原材料を確認してみたら。。。

保存料として使われたアルコールのせいで、酔ったらしい。注意書きにもアルコールが苦手な方は気をつけてね、みたいなことが書いてあった。

うどんで酔うって。。。ちょっとなさけない。

2007年05月08日

今夜は。。。

一年とちょっと前、仕事で行った南房総で、漁船に乗せていただいて獲った(わたしはちょこっと手伝い、あとはほぼ見学していただけ)アジをひらいた。しかもかなりの数。
番組ではそんなに長いシーンではなかったけど、無の境地でひらいていたので、気付いたらものすごい数のアジがひらかれていた。(例えていうならブルーのゴミバケツいっぱいと考えてください)


あの日は、早朝の船酔いで調子が悪くなって、しばし寝込んでいた。(電車も飛行機も平気だが、いまだに船だけは酔ってしまう)
船酔いからなんとか復活してすぐに取り掛かったのが、アジをひらくことだった。
繰り返しの作業は、ああいうときありがたい。とりあえず黙って手を動かせばよいから。

で、山のようにアジ(ほうぼうもありました)のひらき、出来上がり。
自分でもひらきの技術が段々上達していくのがわかったが、所詮シロウトの作ったもの。どうぞお持ち帰りください、と言われたので、ありがたくいただいた。
しかしどう考えても我が家だけで食べきれないと思い、自宅と実家の二箱に分けて郵送した。


無事ロケが終了し、自宅に帰るとまもなくアジが届いた。
近所に住む友人宅におすそ分けしようと思ったら不在だったので、ビニール袋にアジを数匹を入れて玄関のノブに引っ掛けておいた。(見つけた友人はびっくりしていた)

それでもまだ結構な数ある。冷凍庫にしまうと、一気に魚専用冷凍庫になった。
しばらくアジを食べ続けた。
飽きそうになる自分を奮い立たせ「朝から釣られてひらかれた魚の気持ちになってみよ」と食べた。
アジは美味しかった。最後の一匹を食べ終わった時、達成感を味わった。
「よし、しばらくアジ絶ちだ!」


あれから1年以上たち、今夜はひさしぶりにアジのひらきを食べた。今日のはもちろん買ってきたもの。

「うん、おいしい。でもわたしがひらいたアジはもっとおいしかった」。。。そんな気がする。

2007年05月07日

長風呂の友

長いお休みはどうでしたか。
わたしは、休み休み働いておりました。


話は変わりますが、最近前にも増して長風呂になりました。
前は湯船で読書するのが常でしたが、近頃は違う楽しみがあります。

家のお風呂の窓外には、小さなスペースがあり、そこにいろいろと植物が植えられております。
現在はいちごとブルーベリーの花が咲いています。ブルーベリーは昨年から。いちごは今年から。


子供の頃から植物といえば朝顔ぐらいしか育てたことのないわたしですが、(お恥ずかしい話をHanako Westのエッセイに書きました。)植物の芽吹きにはエネルギーを感じ、毎日見ていてもまったく見飽きず、ついつい長風呂になっています。


花というより、葉っぱがいい。翡翠を思わせるような新緑が毎日伸びていく様子を楽しんでます。

あ、いちごも一個だけなりました。

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こんな感じ。周りに散っているのはいちごの花びら。


お店に売っているようなキレイな形ではありませんし、味も期待しておりません。
でも、白い花が散って赤い実がなるようすを、毎日観察できたので、よいです。


屋上ではオリーブを初挑戦。オリーブは違う種類のオリーブの木がないと、実がならないそうです。
うまくいくかどうか。。。秋までのお楽しみ。

2007年05月05日

果敢なる生涯

天気のいい午後、世田谷区にある芦花公園駅におりたちました。
駅から歩いて五分。緑に囲まれた小路の脇には、遅いランチで混雑するファミレスがあります。
ファミレスを横目に人通りの少ない道をのんびり歩いていると、子供の頃の遠足を思い出しました。
引率者のいない、ひとり遠足というのも、なかなかいいものです。


目的地は世田谷文学館。ここで脚本家で作家・向田邦子さんの展覧会が開催されています。

向田さんの作品は小説とエッセイは読みましたが、脚本作というのはあまり知りません。
「寺内貫太郎一家」も「時間ですよ」もきちんと見たことはない。

「阿修羅のごとく」や「あ、うん」など映画化された作品も多いです。

展覧会では向田さんの生原稿や手紙も展示してあり、51年間の生涯で残した作品にはさまざまな解説がくわえられて、見ごたえがあるものでした。

向田さんが存命であれば、わたしの祖母ほどの年齢でした。
少しの間だけど、確実に同じ時代にいらした方なんだと思うと、物書きのはしくれとして親近感を感じます。


以前「向田邦子の恋文」という向田さんの妹である和子さんの著作で、向田さんの秘めた恋を知りました。展覧会では恋人だったであろうNさんが撮影した向田さんの写真が飾られていたのですが、思わず見とれてしまうほど素敵な表情を浮かべておりました。
なんというかダ・ヴィンチのモナリザみたいな麗しい顔の向田さん。この写真を見ただけで、伝わるものがあるというか。。。


一部展示された脚本では、登場人物のセリフが
「(。。。の気持ちで)」とか
「(000な表情で)」
と著しているシーンがありました。つまり人物のセリフはなく、セリフに値する表情を向田さんは指定している。

前に「脚本のセリフは脚本家のもの、ト書きは監督のもの」
と言われた事があるのですが、このセオリーらしきものすら向田作品は超越している。
監督からの脚本家への絶大なる信頼と尊敬があり、その逆も存在し、この脚本を渡された俳優は、自分の力量の限界に挑戦することになるだろうな、と思いました。


向田さんがよくタッグを組んだ演出家の久世光彦さんのドラマ制作秘話を読み、そこからも向田さんの意気を感じました。


向田作品の小説では「かわうそ」が絶品です。こんな作品、他にはない。
展覧会の会場では読書コーナーも設けられていて、休憩がてら本を手に取りました。文庫「男どき女どき」に収められた「うそつき卵」が印象的。


充実したひとり遠足でした。次は上野で「レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像」に行く予定。。。
この予定というのは、未定ってことです。。。「ダリ展」を見逃した反省をこめて。
来月までに「受胎告知」見に行かなければ。


美しくなくてもいい。
最後まであきらめず、
勇猛果敢に生きてやろう
(「寺内貫太郎の母」より)

2007年05月03日

きょうのしあわせ

5月です。
今週はブックレビューの収録がお休み。
次の休みは夏までありません。ゆっくりと休ませてもらいます。。。
と、いいつつも読書生活は相変わらずで、カズオ・イシグロの帯コメントに惹かれ今さらながら
村上春樹による新訳・チャンドラー「ロング・グッドバイ」を読んでいます。
あぁ、ページをめくる手が止まらない。。。


先日は「バベル」を観にいきましたが、昨日は家で「ヒストリー・オブ・バイオレンス」鑑賞。
監督のコメントや、解説を読んでわかった部分があるけど、けっこうヘビーな暴力描写が多かった。
主演のヴィゴ・モーテンセン(ロード・オブ・ザ・リングのアラゴルン役)の作品としては、以前「「オーシャン・オブ・ファイヤー」という作品を見た事がある。
「オーシャン・オブ・ファイヤー」の監督はジョー・ジョンストン(「ジュマンジ」「ロケッティア」など)。
このジョー・ジョンストン監督作に「遠い空の向こうに」という作品があります。

公開前に、配給会社の方からものすごく薦められ、試写会で見て号泣しました。

「遠い空の向こうに」の主演はジェイク・ギレンホール。最近は「ブロークバック・マウンテン」などですっかり大人になった感がありますが、「遠い空の向こうに」のジェイクは初々しい。
ロケット作りに夢を見る少年たちのお話で、実話だそうです。

長々と書きましたが、つまるところ「遠い空の向こうに」は、いい映画だということが言いたかっただけです。


この日記を書いている間に、宅急便が2個到着。両方ともブックレビューの本です。
封を開けて本を確認し、「待ってました!」と思わず声をあげてしまいました。


その本は、先日本屋で気になって買おうかどうか迷っていた一冊だった。。。欲しい本がざっと十冊ほどあり、でも全部買って持って帰るとものすごく重くなるし。。。それでなくとも普段からわたしは荷物が多いし。


欲しい本が頼みもしないのに、家に届くって。。。幸せです。