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   <title>中江有里 :: Diary From Yuri</title>
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   <title>大阪にて。</title>
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   <published>2012-04-29T14:26:01Z</published>
   <updated>2012-04-29T15:31:31Z</updated>
   
   <summary>週末は「ウェークアップ！ぷらす」（よみうりテレビ）の出演のため、大阪へ行ってまい...</summary>
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      週末は「ウェークアップ！ぷらす」（よみうりテレビ）の出演のため、大阪へ行ってまいりました。
新大阪駅ホームにつくと、まず下りエスカレーター（階段、エレベーターもあります）で改札へ向かいます。このエスカレーターで右列に立つと、「大阪に帰ってきたなぁ」と感じます。今回は東からの旅人が多かったのか、エスカレーターは左列に立つ人ばかりでしたが。

昨年から月に一度程度、「ウェークアップ！ぷらす」に出ています。わたしは政治も経済も大した知識がなく、自分が番組において、どんな役割を果たせるのかと不安いっぱいでした（今もそうですけどね）。
「中江さんの思うことをそのまま話して下さい」というプロデューサーＹさんの言葉に背中を押していただいて、大阪に参っています。

大阪に定期的に行く仕事といえば、もうずいぶん前になりますけどＮＨＫ朝ドラ「走らんか！」以来かもしれません。あの時は、九ヶ月近く大阪暮しでした。当時妹は大学受験を迎えていて、勉強の邪魔になってはいけないし、仕事に集中したかったので実家にはほとんど戻らず、ホテル住まいをしていました。


時は経て、今回久しぶりに実家へ行きました。といっても、今の実家はわたしが家を出たのち、引っ越した先なので、何の懐かしさもない家です。でも写真やらＣＤやら、昔の私物が置いてあり、それがどこに仕舞われているのかわからないので、ちょっとした宝探しができます（＾−＾）とりあえずＣＤを数枚探しあて、持って帰ることにしました。

滞在中、ちょっと時間ができので、久しぶりに梅田を散策しました。歩き出してすぐ気付いたのが、阪急地下街からルクア・三越伊勢丹あたりまでのルートがぜんぜんわからない。阪急百貨店には行けたのに、阪神百貨店になぜかたどり着けない悲しさ(T_T)　（地元の方にはおわかりでしょう。。。）

わたしは昔の阪急百貨店が好きなので、今の最先端ぶりは格好いいけど、ついていけないんです。
本屋があって、大食堂があったころ。
大きな吹き抜けがあって、美しいステンドグラスが教会を思わせるデザインだったころ。あれが好きだった。
失われたものを嘆いても仕方がないけど、もったいないなぁと思わずにはいられません。

大阪では新しい本屋さんに寄りました。入ってすぐ「ウェークアップ」の辛坊治郎さんの本「この国で起きている本当のこと」が平台に山積み。ビジネス書ランキング一位！というＰＯＰとともにありました（辛坊さんから頂戴したばかりです）。

奥へ進むと、文芸書の棚に。児玉清さんの本「すべては今日から」がありました。表紙の児玉さんと目が合った途端、急に目頭が熱くなりました。
最後にお目にかかった時は、この写真より痩せていましたが、わたしの中の児玉さんは、いつもこの表紙の感じです。

東京に戻ると、予約注文しておいた「すべは今日から」が届いていました。読みだしたら、児玉さんの口調や声が頭の中によみがえってきて、自然と笑ってしまいました。
読み終わってから「もう一度児玉さんに会いたい」と思ったら、ちょっと泣けてきました。

児玉さんと最後にお目にかかった時、まさかこれが最後だなんて夢にも思わなかったけど、きっとどんな出会いもそういうものなのでしょうね。
両親と会う度、友達と会う度、気心知れた仕事仲間に会う度、そう感じます。
これまで出会って来た人で、この世から去った人にちゃんとした「さよなら」を言えたことなど一度もなかった。
出会いは「はじめまして」だけど、別れは「またお目にかかりましょう」と言うのが常です。

新大阪駅で母から電話があった時も「じゃぁまたね」。次に会える保証などなくても「またね」。
だからこそ、今が大事で、それを忘れないようにしなくては。

児玉さんがいなくなって、そう考える傾向が強まりました。この気持ちは、児玉さんからもらったものです。
日々出会う人、今繋がっている人を大事にして、考えることをあきらめず生きていこうと思います。












      
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   <title>新年度を前に。</title>
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   <published>2012-03-29T08:41:41Z</published>
   <updated>2012-03-29T09:25:41Z</updated>
   
   <summary>3月17日「週刊ブックレビュー」の最終回でした。再放送も終わり、番組のＨＰは3月...</summary>
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      3月17日「週刊ブックレビュー」の最終回でした。再放送も終わり、番組のＨＰは3月31日に閉じてしまいます。

21年間続いた番組。そのうちの8年間参加しておりました。
スタッフの皆さんの中には、21年ずっとこの番組と共にあった方もいます。
心の中を見ることはできませんが、それぞれに寂しさを抱えていることと思います。

失ってわかる喪失感が迫ってきます。児玉さんがお亡くなりになったと聞いた時、悲しみより先に「嘘だ」と思い、そのあと波が押し寄せるように悲しみがやってきました。

すぐ、というより、そのずっと先に悲しみや喪失感は待っているのでしょう。きっとそういうものなのですね。

児玉さんから引き継いだ「ラジオビタミン」も終わりました。
でも、児玉さんから再び引き継ぐ仕事がいくつかあります。
来月は児玉さんが長年務められていた日本造本装幀コンクールの審査員を務めます。「週刊新潮」の合併特大号にてお薦め本を紹介する「私が選んだベスト5」も児玉さんのあとを継いで書くことになりました。直近は4月下旬発売のもの。今年1月から最近読んだ中でのベスト5を選んでいます（ベスト5といっても、順位はついていません）。

ブックレビューが終わってからというもの、「どこか別の場所でお薦め本を紹介してください」と言われることが多いです。わたしが番組で自分のお薦め本を紹介していたのは、年に一度くらいで、ほとんどは書評ゲスト、特集ゲストのみなさんに本を紹介していただき、それらの本を読む機会に恵まれていただけなのですけどね。
「週刊ブックレビューのおかげで読書の範囲が広がった」という声を聞きますが、それはわたし自身の思いと全く同じです。番組がなければ、手に取ることもなかった本が多かった。だから番組がなくなったことは、わたしの読書の指針の損失でもあるのです。
番組に参加していた8年間、特に最初の5年間は毎週少なくとも4冊の本を読むことになり、最初は戸惑うこともありました。しかし「習うより慣れろ」の言葉通り、まず読んでみる、最後まで読み切ってみることの大切さを身をもって知りました。
習う、という言葉には本を読むことも含まれるそうですが、その本に何の興味も知識もなくても、ただひたすら読むことで「慣れ」になるのだと思います。

「週刊ブックレビュー」がなくなっても、わたしの言葉を読書の指針にしてくださっている皆さんの声にこたえられるように、何かしら発信していきたいと思っています。
あと、来月から、小説の連載始めます。来週情報解禁ですので、しばしお待ちを。

というわけで、新年度もよろしくお願いします。







      
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   <title>２月最後。</title>
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   <published>2012-02-29T10:38:30Z</published>
   <updated>2012-02-29T10:38:56Z</updated>
   
   <summary>全然こちらの更新ができなまま、２月が過ぎ去ろうとしています。 せめて一度くらいは...</summary>
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      全然こちらの更新ができなまま、２月が過ぎ去ろうとしています。
せめて一度くらいは書こう、と月末のしっぽにしがみつき、書いています。


先月末から今月はやたらと出張が多く（海外を含む）、落ち着く暇がありませんでした。
おまけに背中が肉離れをして、２、３日あおむけになって眠れなかったこともあり、なかなか疲れがとれませんでした。

まだ頭の中が整理しきれていないので、何を書こうということもなく、つれづれなるままに綴っています。

先月だったか、今月に入ってだか、失念しましたが、「週刊ブックレビュー」の終了が発表になりました。
わたしは昨年秋ごろに聞かされていました。「とうとう、その日が来たのか」と思いました。

いずれ、こういう日が来るとはわかっていましたが、それはわたしの卒業だろう。卒業しても、また一視聴者として番組を見続けるのだろう。まさか、番組終了に立ち会うなどとは想像していませんでした。

「週刊ブックレビュー」の終了について、様々な人の声を聞いたり、読んだりしました。惜しんでくださる声が多かったのと同時に、児玉さんの死が番組終了のひとつの理由だったのでは、とありました。

正直、わたしも最初に聞いた時は、そう考えました。でも今はそう思いません。

児玉さんは「ミスターブックレビュー」といわれるよう「週刊ブックレビュー」の顔でした。わたし自身、児玉さんと司会をご一緒していた時期も、離れてからも、心のよりどころが児玉さんであったことは間違いありません。児玉さんが番組を先導してくれている、だからその道を歩いていけば安心、というような思いもありました。

でも番組の終了の理由は、児玉さんの死ではない、と思う。

周囲がどう思おうとも、わたしはそう思いません。
なぜなら児玉さんが、ご自身の死とともに週刊ブックレビューの終了を、と望んでいたとは思わないからです。児玉さんがこれほど大事にしていた番組を、ご自身の引き際と共に終わらせたいと考えていたとは、わたしにはどうしても思えない。
たとえ、そうであったとしても、もう児玉さんは、何も言えません。否定も、肯定もしてくれない。
だから、週刊ブックレビューの終了を、終了に対する様々な理由を、勝手に亡き児玉さんに結び付けてはいけない、とわたしは考えています。
児玉さんの死と、番組の終了は別のもの。それがわたしの考えです。

番組終了を惜しんでくださった方々に示すのは、他人のごとく「仕方ありませんよね」ではなく、「申し訳なかった」という気持ちです。

誤解がないように書きますが、わたしは「週刊ブックレビュー」の一司会者で、２１年前に始まった番組に２００４年から参加し、今日まで参加していた一人です。番組の立ち上げも、この度の終了についても、詳細について何も知らされていないし、すべてを知らなければならない、ということもありません。
これまでの、他の仕事と同じです。ある日呼ばれて参加し、ある日終わりを告げられる（最初から期限が決まっているものもありますが）

だから、仕事には思い入れは持ち過ぎない方がいいというのが、わたしの主義でした。今もそうです。一旦受けた仕事は、どんなものでも自分の力の限りを出す。でもあまり個人的な思いを込めすぎると、ある日突然終わってしまった時のダメージが強すぎて、しばらく立ち上がれなくなる。そうならない為に、なるべく個人的思い入れを捨てます。
それはある意味、自分を守るための盾なのかもしれません。


「週刊ブックレビュー」では、司会の児玉清さん、藤沢周さん、その他の出演者のみなさん、スタッフのみなさんと、本当に楽しく、素晴らしい日々を過ごしてきました。個人的思い入れを持たないようにするのは、無理でした。大好きな番組で、大好きな人々と本に囲まれた、幸せな時間でした。

「週刊ブックレビュー」を見てくださった方に番組終了について「申し訳なかった」と思うのは、出演者の枠を超えた言葉になるのかもしれません。でも、出演者として、一司会者として、この言葉しか出てきません。

色々書いているうちに、心からこぼれ出るものがありました。

わたしのレギュラー回は、あと一回。最終回も出演予定です。

今までで一番長い物語を読み終えようとしている、そんな気分です。





      
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   <title>２０１２年。</title>
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   <published>2012-01-04T06:33:30Z</published>
   <updated>2012-01-04T06:44:25Z</updated>
   
   <summary>新しい年が明けました。本年もよろしくお願いします。 年末年始は家族でのんびりと、...</summary>
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      新しい年が明けました。本年もよろしくお願いします。

年末年始は家族でのんびりと、と思っていましたが、昼間はなんだかんだとお出かけが続き（大混雑の初詣も行きました）、夜は夜で執筆の続き（仕事が終わらなかったのがいけないのです。。。）、しかしお正月ということでおいしいものは食べ続け（やっぱ自家製ローストビーフは最高）、心に体に胃にハードな年末年始となりました（＾−＾）

昨日、大阪へと帰った客人を見送ったら急に疲れが出て、そのままバタンと眠ってしまいました。

夜中に起きて執筆し、今朝は今年初ピラティスに行きました。いよいよエンジンかかってきました。
明日も明後日も締め切りだぞーがおー（と、吠えてみる）気合いで乗りきります。








      
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   <title>どうもありがとうございました。</title>
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   <published>2011-12-26T15:11:06Z</published>
   <updated>2011-12-26T15:38:45Z</updated>
   
   <summary>昨日のわたくしの誕生日には、みなさんからあたたかなお祝いの言葉をいただきまして、...</summary>
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      昨日のわたくしの誕生日には、みなさんからあたたかなお祝いの言葉をいただきまして、ありがとうございました。
こうして声をかけてもらうと、たくさんの方々に支えられているのだな、と実感します。
普段も、多くのスタッフのみなさんの支えの元で仕事が行われているとわかっていますが、どこかでこんなわたしを見ていてくれるみなさんがいてくれる、そのことがとても嬉しいです。

ご存知の方もいますでしょうが、今年５月に亡くなった児玉清さんも１２月２６日の生まれで（届は１月１日だそうですが、実際はこの日と伺いました）ちょうど４０歳の年齢差がありました。児玉さんが好きだった藤沢周平さんも同じ誕生日。いつか二人で藤沢周平作品の朗読会をやりたいね、と児玉さんは話していました。

はじめて児玉さんとの年齢差を縮めてしまった１２月２６日でした。このまま年を重ねていけば、どんどん差を縮めていくのだなぁ。。。まだ何とも言えない気持ちです。

そして昨日は祖母の命日でもありました。

おとといの「クリスマスの約束」を見ながら、本当にうれしくて幸せなのはほんのひとときなのだ、と思いました（あ、別に毎日新聞の読書コラムとは関係ありません。あちらは「ホンのひととき」）
良い歌を聴いている時、本を読んでいる時、楽しい会話をしている時、おいしいものを食べている時、お風呂でゆったりしている時、こうして並べると、細切れに日常にあります。幸せなひととき。

そのひとときを過ごすためには、結構辛い時を越えなければなりません。睡眠時間を削って、色々考えたり、アレコレ覚えたり。ほんと投げ出したくなるのをこらえて、修行するような思いで耐えています。
でも自分が好きでやっているうちの「耐える」だから、出来るんですね。

仕事以外では、数年前にやり始めたことのゴールがやっと見えてきました。
まだ時間はかかるし、これまで以上に大変な日々が待っているだろうけど、ここまで耐えてきた分の力がついていると信じて、荒波を乗り切っていきたいと思います。

新作小説も年内に第一章を書き終える予定です（まだこちらも先が長いけど）

児玉さんのことを思うと涙が出るけど、やっとお墓参りにも行けそうです。いろいろ報告したいと思います。

年内に更新できるかなぁ。わからないので念のため

「みなさん、よいお年を」
      
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   <title>12月雑感。</title>
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   <published>2011-12-12T06:56:22Z</published>
   <updated>2011-12-12T07:39:45Z</updated>
   
   <summary>先月末から予定が過密状態。 いつもは、締め切り予定を付箋に書いてパソコン周りに張...</summary>
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      先月末から予定が過密状態。
いつもは、締め切り予定を付箋に書いてパソコン周りに張り付けているのですが、先月から来年1月までの予定を妹に頼んで、締め切り順に一覧にしてもらいました。プリントアウトして、本棚に張り付けています。
最初からこうしておけばよかった。。。大変わかりやすい。終わった順にチェックを入れています。
締め切り以外にも大阪出張、ラジオ収録、テレビ収録が挟み込まれ、書いた原稿のゲラチェック、とあり、先週末まで「わたしは無事に10日を迎えられるのか。。。」と一人不安になっていました。
こうしてダイヤリーを書いているということは、無事終わった証拠（＾−＾）あぁ、ホッとした。それもつかの間、今週は締め切りと収録が重なっている。ということは、早く書かなければならないし、読まなきゃならない。

忙しいというのは、有難いのですけどね。いつも思うけど、ほんと「キリ」というのがない。これでいい、という基準もない。とにかくやれるだけいつもやりつくしている、という感じ。
これも自分で選んだ道だし、そのことに不安はあれど、不満はありません。15歳からずっとこうしているのですから。。。

早いもので、今月は誕生日月。同じ誕生日の児玉さんがいなくなってはじめての26日がやってきます。
この日は祖母の命日でもあり、今年は特にしんみりしてしまいそうです。


雑感なので、アレコレお話しが飛んでいます。

小説を書き始めています。読むのも好きだけど、書くのも好きだなぁ、大変だけど。

知人がＦａｃｅ　ｂｏｏｋをはじめ、誘われたけど、まだそっちに行けません。

ツイッターもそれほど頻繁に書きこんでいないし。特に調子の悪い日は書けません。10月に悪くなった耳は、残念ながら完璧に回復するには至りません。耳鳴りはなくなったし、聴力もほぼ戻ったのでよかったけど、耳のせいでどうも神経が過敏になったのかもしれません。どういう状態かというと、体調不良の時や寝不足の時、耳の奥がせまくなって、集中力がなくなり、ぼんやりとしてしまうのです。それでいて、見えないもの（音や気圧、天候、寒さ、新幹線や飛行機移動）の変化が耳に直撃！影響与えているようで、とても面倒くさい状態。
10月は外出もできず、引きこもり状態でしたしね。。。あの時の神経過敏ぶりは、自分でもどうにもなりませんでした。ちょっとした音、話し声で心がささくれて苛立っていました。
今はそれよりましだけど（辛い時は耳栓しているからです）、耳のことなので、他人からはわからないし、説明も難しいし。自分でも調子のいい時は忘れていて、突然「あ、耳が変だ」と思い出しているし(*_*)。


年末は、両親が遊びに来る予定です。
つい先日母の誕生日祝いを大阪でしたところです。親元を離れて暮らす年月のほうが長くなり、互いの誕生日を共に祝うなんてことは、めったにありません。今回は母の節目の年だったので、はじめての盛大なパーティーを開いていただきました（開いていただいた、というのは、母を慕ってくださるお仲間のみなさんが先導してパーティーが実現したため、こういう表現になっています）。

本来なら家族がすることなんでしょうが、こうして母を慕ってくださった皆さんの気持ちに触れることができて、本当にうれしかった。母はわたしたちの母というだけではなく、みんなの「おかん」（お母さん）なのだとわかりました。

というわけで、原稿に戻ります。







      
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   <title>児玉さんの切り絵カレンダー２０１２</title>
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   <published>2011-11-11T15:53:13Z</published>
   <updated>2011-11-11T16:10:26Z</updated>
   
   <summary>昨年末、「週刊ブックレビュー」の特大号の収録のとき、児玉清さんの楽屋をお訪ねしま...</summary>
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      昨年末、「週刊ブックレビュー」の特大号の収録のとき、児玉清さんの楽屋をお訪ねしました。

その際、児玉さんからいただいた切り絵カレンダー（2011年版）。年が明けるとすぐ、部屋に飾りました。

月が変わるたび、鮮やかな切り絵があらわれました。3月に児玉さんが入院されてからも、カレンダーに向かって、「児玉さん、早く帰ってきてくださいね」と願っていました。残念ながら、児玉さんは遠くへ行ってしまいました。

あまりのショックで、しばらくカレンダーを見ることができませんでした。そして書棚に作った児玉さんコーナー（児玉棚と呼んでいます）にカレンダーを仕舞っていました。

先日、来年度の児玉さんの切り絵カレンダーができたことを教えて頂きました。
嬉しくて嬉しくて、さっそく書棚に飾っています。まだ年が明けていないので表紙のほうを向けて。

切り絵カレンダーが気になる方、こちら児玉清事務所のＨＰ　http://www.office-kodama.co.jp/　をぜひのぞいてみてください。

わたしは一部頂いたのですが、実家の分と友人知人に配る分を早速ネット注文（＾−＾）

クリスマスプレゼントにもぴったりだと思います。






      
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   <title>突発性難聴、その後。</title>
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   <published>2011-10-28T15:48:48Z</published>
   <updated>2011-10-28T16:47:19Z</updated>
   
   <summary>暖かい日が続いたと思ったら、いきなり寒くなる。急激な気温の変化についていくのに必...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.yuri-nakae.com/diary/">
      暖かい日が続いたと思ったら、いきなり寒くなる。急激な気温の変化についていくのに必死です。

耳の具合ですが、少しずつ回復しております。
突発性難聴は２度罹らない、といわれているそうです。ですから１１年ぶりに再発したといっても、これを突発性難聴と呼んでよいのかわかりませんが、他に病名もつけられないので、とりあえずそういうことにしております。
１１年ぶりの難聴は、なかなかしぶといものでした。この病気の治療には通常ステロイド剤が使われるのですが、この副作用がかなり辛かったです。顔はパンパンに腫れるし（ほっぺが張り出すアンパンマン状態）、めまいとふらつきにおそわれ、ひどい時はただ歩くだけでも辛かったです。横になるのもしんどいし、一度寝てから起き上がるのがまた一苦労。つまり、何をするのも辛い。耳鳴り、耳閉感から２４時間逃れられない。

人と会う仕事は、とりあえず延期してもらい、家の中でできることー執筆は少しずつすすめていました。何をするのも辛いけど、何もしないのも、また辛いのです。一番ましなのが椅子にまっすぐ座っている状態。その姿勢のまま、パソコンに向かっておりました（本当はパソコン仕事も控えるべきなのかもしれませんが）。


薬は最大限飲んだのですが、症状が良くならず、薬と併用する形で鍼灸院へ通い始めました。
その治療が体に合ったようで、少しずつよくなってきました。耳鳴りが治まったのが、発症して一ヶ月後。２４時間悩まされていたあの音がいなくなった（耳の中からいなくなった、というのがしっくりくる）時、なんというか、感動してしまいました。あぁ、耳鳴りがいなくなった。本当によかった、と。

聴力もかなり回復してきました。

まだ耳の奥の違和感はあり、エレベーターや電車に乗ると、耳の奥がキシキシときしむ感じがします。
でもひどい状態のころと比べれば、雲泥の差。
ふらつきがひどい時は、ひとりで道路に面する道を歩くことも怖くて、家を出られませんでした。
そのせいでひどく体力が落ちてしまい、少し症状が治まった後も、ちょっと歩くだけで疲れていました。

やっと体力も戻って、耳に影響がない程度の運動（主にピラティスとお散歩）をしています。薬の副作用も消えて、アンパンマン顔から脱出（アンパンマンに恨みはないけどね）しました。

今月仕事でお目にかかった皆さんに「大丈夫ですか？」と心配の声をかけていただき、なんというか、本当に申し訳なかった、と思っています。皆さんを不安にさせてしまいました。。。
わたしと同じ難聴でお悩みの方からもメールをいただき、その経験を読んで、励まされました。

難聴は、ただ耳が聞こえずらいだけでなく、耳鳴りや耳閉感が伴うこともあります。めまいやふらつき、薬の副作用については上記のとおり、その他騒音（音楽、子どもの声や大きな声など）、天気の変化（気圧の変化）なども、かなり影響があります。

（アンパンマン顔はのぞくとして）突発性難聴は見た目には、わかりにくい病気です。症状が出たら、早めに病院に行き、治療を始めなければ治らない、といわれています。もし突然、片方の耳が聞こえにくい、耳鳴り（蝉が鳴くような音とか、ゴーッという強い風の音など）がしたら、すぐ耳鼻咽喉科へ行ってください。
命に別条がない病気ですが、だからといって放っておいてはいけません。ストレスが病気を引き起こす要因と言われています。ストレスのない社会などないでしょうから、防ぎようがないのだけれど、とりあえず早期に発見すれば、治る確率が高くなります。


長々と書いてしまいました。まだ治療中ですが、こうして少しずつ回復していることを、心配をかけた皆さんにお伝えしたくて書いています。また突発性難聴の辛さ、怖さをお伝えすることで、いざどなたかの身に起きた時、早めに対処していただけたら、と思います。

来月は難聴後、初めて新幹線出張があるので、それまでにもっと良くなっていたいです【新幹線（特にのぞみ号）は、あんまり耳によくないそうなので。。。】個人的に楽しみな出張、ということもあるので、万全の体調でお出かけしたいしね。あまり無理せず、頑張ります。










      
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   <title>金木犀の季節です。</title>
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   <published>2011-10-02T13:57:57Z</published>
   <updated>2011-10-02T14:24:35Z</updated>
   
   <summary>金木犀の香る季節。１０月になりました。結局９月は更新できませんで、申し訳ない。。...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.yuri-nakae.com/diary/">
      金木犀の香る季節。１０月になりました。結局９月は更新できませんで、申し訳ない。。。

さきほど日経ＷＯＬのブログに書いたのですが、耳の具合が悪くなって、かなりまいっていました。
それまでは結構アクティブに過ごしていたのですけどね。。。温泉に行ったり、はじめてのメンバーと食事に行ったり、すばらしい先輩女性とお話して刺激を受けたり、と。

今年を振り返るのはまだ早いけど、ストレスが多い一年であったことは確かです。３、１１の震災、５月の児玉さん逝去、節電による生活の変化、猛暑、挙げればきりがありません。でもそれはわたしだけではなく、他のみなさんにもそれぞれのストレスがあると思います。

そういう日々の中で、突発性難聴になり、今日金木犀の香りに触れました。

心が洗われる、というのはこんな感じなのかもしれません。なんだかとても、ホッとしました。

秋は新しく読書日記の連載が始まります。「週刊エコノミスト」（毎日新聞社）にて、５人でのリレー連載形式。新作小説の執筆もまもなく取り掛かる予定です。

来年の今頃はどうしているかなぁ、とふと考えますが、考えても何にも浮かびません。安定した仕事ではないし、今回のように急な体の不調に戸惑っているかもしれません。
でも、ま、自分で選んだ仕事ですしね。何が起こるかわからない、ということ自体を楽しみにして進もうと思います。
短い金木犀の季節は、心を新たにしてくれました。

      
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   <title>母のこと。</title>
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   <published>2011-08-21T12:10:37Z</published>
   <updated>2011-08-21T12:56:14Z</updated>
   
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      猛暑一段落。短い夏休みも終わり、日常生活に（なんとか）復帰しております。

わたしは今年４月に大阪へ帰ったので、この夏は妹が大阪へ。
別に交互に帰る、ということでもないのですが、妹は高校、大学時代のお友達と会う約束もあり、ひとりで行ったわけです。（姉妹のどちらかが親元へ行くことで、この度残った方としても、無事娘の役割を果たしたぞ、という気になります。妹よ、ありがとう）

両親と妹は、神戸へ遊びに行ってきたそうです。あとから妹に聞いたのですが、母が神戸の観光地で何やら熱心に探していたそうです。
母「これ、どう思う？」とガラス製のアクセサリーや携帯ストラップを妹に見せました。
妹「え、何するのん？」お土産や工芸品などにほとんど興味を示さない母が珍しく言うので、尋ねたところ、
母「ゆきえに（わたしのことです）、似合うかなと思って」

この話を思い出すたび、どーっと涙が出たこと数知れず。。。

ま、いろいろあって、結局買わずに帰ってきたそうですが（*^_^*）、暑い神戸で、東京に居るわたしのことを思い出してくれたんだなぁ。。。嬉しかった。

前回書いたように、わたしは１５歳で東京に出てきたので、大阪で暮した期間、つまり家族と暮した期間も１５年間。いまや母たちと離れて暮らしている月日のほうが長くなっています。
妹とは、東京ー大阪と１０年ほどの別れののち東京で合流（＾−＾）し、今や仕事、プライベートと会わない日がないほどですが、母とは半年に一度会えればよいほう。電話やメールも、母の方が忙しくて、なかなか出来ていません（わたしが電話やメールをしても、返信が少ない！）


先月、母にちょっとした体調の変化があり、電話で報告された時は、本当に驚きました。そのちょっと前から、電話やメールでの母の様子が少し変だという気はしていたのです。
母は、過去に（もう離れて暮らしていた時期です）過労で入院した時も、東京のわたしに心配かけまいと毎日病院の公衆電話から電話をかけてきて、そのことをわたしが知ったのが、無事退院したのちであった。。。ということもありました。

母「実は０００というような症状があるんやけど、ネットで調べてくれないか」
とにかく病院に行くように、と言いつつ、ネットであれこれ調べてしまいました。こういう時、悪い情報ばかり目に入るものです。。。

母はかかりつけ医院に紹介状を書いてもらい、その後、総合病院に行きました。そして今月のお盆（１５日）に検査予定となりました。

たぶん相当おびえていただろうに、検査前に行った神戸では、わたし用のお土産を探し、立ち寄った神社ではわたしの仕事の成功祈願をし、わたしのことばかり話していたそうです。自分の健康祈願より、わたしの仕事の心配してくれる母。もし逆の立場なら、自分の健康不安が先立つだろう、と思いました。

ありがたいものです。離れていても、そんなに思ってくれているなんて。

で、検査日を迎えました。（今思えば、付き添って行けばよかった）

そして。。。「あれ、症状がなくなっているので、検査しなくていいですよ」とお医者様。

母からハートマークだらけのメールが携帯に届きました。。。

症状が出た時は、痛くて辛くてご飯が食べられない、と嘆いていた母ですが（飲めぬ母の楽しみは食）、ここ最近は「もう大丈夫やでー」と言っていました。
大阪の妹から届いたメールに添付された写真には、山もりのかき氷を前に笑う母の写真。。。どう見ても辛そうじゃない。
よかったね。何でもなくて。

母が元気に仕事して、毎日おいしく食べて、ぐっすり寝ていてくれたら、それだけでいい。あらためてそう思いました。









      
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   <title>目前。</title>
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   <published>2011-07-28T06:07:23Z</published>
   <updated>2011-07-28T06:53:48Z</updated>
   
   <summary>わたしは２２年前の８月１日に大阪から上京してきました。 仕事はその前からほんの少...</summary>
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      わたしは２２年前の８月１日に大阪から上京してきました。
仕事はその前からほんの少しずつ（時々東京へ来て写真撮影したりなど）していましたが、本格的に仕事を始めるため、８月１日付で住民票を東京へ移しました。なので一応８月１日は就職記念日にしています。

毎年この日が来ると、上京した日のことを思い出します。友達には東京へ行くことは話していたけど、いつ行くということは言っていませんでした（その時点ではっきりとした日付は決まっていなかったので）。

１９８９年８月１日、母と妹と新大阪駅へ行くと、小学生時代からの友人か数人待っていてくれました。驚き、喜び、涙しました。
みなからそれぞれ手紙をいただき、記念写真を撮って新幹線に乗りました。

東京へ着いてから、用意してもらった住まいで１０日ほど母妹と暮しました。その間、これから必要な家具や生活備品を買い集めたり、原宿で洋服を買ってもらったり、新宿をぶらぶらと歩いたり、なんだかどこかへ旅行にでも来た気分でいました。

普段は喧嘩ばかりしている妹とも仲良くいられたし、何より仕事で忙しかった母と一緒に過ごすのが楽しかった。東京という未知の街で、昼間はわたしはレッスンやオーディションに行くこともあったけど、夜はいつも一緒にご飯を食べ、狭い部屋で枕を並べて寝ていました。
こんなに楽しいのなら、ずっと３人で東京で暮らしたいなぁ、ふと思ったこともあります。

だけど母と妹はずっと一緒に暮らすわけではなく、大阪へ帰らなくてはなりません。

上京１０日目の朝、その日母たちが帰ってしまうことはわかっていました。
いつも通り狭い台所で母が朝食を用意して、わたしと妹はゆっくりと食べました。数日前に原宿で買ってもらった白地に赤ストライプの夏らしいカットソーとスカートを着て、いつも通り「行ってきます」とレッスンへ出かけました。ふたりは笑顔をで見送ってくれました。

そして夕方、家に帰ってきました。鍵を開け、扉を開くと、部屋の明かりはなく、窓から差し込む赤い夕陽が床に流れるように射していました。もう母と妹は大阪へ帰ってしまったんだ。誰もいないんだ。
部屋にあがることもできずにしばらく声をあげて泣いていました。

少し落ち着いて部屋に上がると、冷蔵庫を開けました。中には母が作り置いてくれた惣菜や中身は見えないけどお鍋が入っています。

部屋も台所もおふろもトイレも綺麗に掃除してあり、どこにいても母がそこにいた形跡がありました。

それからわたしはホームシックにかかり、ずいぶん泣いてばかりいました。だけど翌日がオーディションや撮影となると、目が腫れてしまわぬよう必死に涙をこらえました。そのうち泣かなくても平気になってきました。
仕事がわたしを強くしてくれたのだと思います。

あの時小学生だった妹は、今そばでわたしのマネジャーとして、わたしを支えてくれています。
母はあいかわらず仕事をし、今年は節目の年になるそうです。（母は年齢はあまり言いたくないそうなので言いませんが、いわゆる年齢の節目です）

ということで、今年来年あたりで何かお祝いしよう、と妹と話しています。

なんかいろんなことがあったけど、無事居てくれて、自分たちも無事居られて、こういうのを幸せというのかもと思います。特別なハッピーではなく、苦しいことや辛いことの中に、ちょっとだけある平穏な時。
人生のささやかなひとときを家族で祝えるのはよいなぁ、と。


わたしも２２年目の夏を無事迎えられそうで、嬉しく思います。
自分の無力さに情けなくなる日もあります。あまりのナマケモノっぷりに自分で呆れる日もあります。そういう駄目な自分を認識し、なんとか帳尻あわせしようと、と考えます。つまり結果オーライであればよし。もちろんその経過は大事だけど、結果を求めた結果的な経過（よくわからなくてすみません。どうにも記せません）は華麗でも、美しくなくともいいのです。

みっともなくとも、この自分でいるしかない。そのうえでこれからも歩いていきたいと思います。

いつも応援してくださっている皆さん、ありがとうございます。皆さんのひとりひとりがいなければ、今のわたしはここに居ません。わたしの歩みは、わたしだけのものではありません。どうもありがとうございます。

間もなく訪れる就職記念日は、感謝の日です。















      
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   <title>続いていきます。</title>
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   <published>2011-06-20T14:40:30Z</published>
   <updated>2011-06-20T15:08:15Z</updated>
   
   <summary>気付けば、もう６月もあと１０日。夏が近づいてきています。 夏が近づくとともに節電...</summary>
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      気付けば、もう６月もあと１０日。夏が近づいてきています。
夏が近づくとともに節電という言葉があちこちに飛び交っています。どういう節電が一番効果的か、と４月の終わりに実家へ帰った時、父に聞いたら
「そら、元を切るのが一番や」
元。テレビの電源から切る、つまり待機電力をなくすということか。
「違う。元から落とすんや」
父いわく、ブレーカーのところには、アレコレスイッチがあって、中に予備電源というものがある。それを切るだけで節電になる、とのことでした。

「ほんまかいな」と思いつつ、帰京後すぐにやってみました。一ヶ月後に来た電気代。。。や、安くなってる。

それ以来特別節電らしいことはしていないけど、いくつか予備電源のスイッチを切っただけで、昨年の同じ月より電気代が下がりました。。。とはいってもそれぞれの家庭には、それぞれの電気の使い方があるでしょうから、わたしの真似しなくてもかまいません。こういうやり方もあります、ということをちょっと書いてみただけです。

今週はブックレビューの収録があります。児玉さんがお亡くなりになってから、追悼の回がありましたが、わたしにとって初めての通常のブックレビュー収録。４月の第一回目、そして先月１４日の回は、もともと児玉さん登板の回でした。
今年度は児玉さんの後任の方はたてず、藤沢周さん、室井滋さん、そしてわたしの３人で司会を務めます。

近年のブックレビューは４人の司会者をたてていますが、児玉さんが隔週で担当されていた時期もあります（何と８年間も）。しかし本を読むだけでなく、読みこんだ上で司会を務めるのはかなりの重圧です。
最初はたくさん本が読めることが嬉しかったそうですが、だんだん厳しくなってきたとのことです。（このあたりのことは児玉さんの「寝ても覚めても本の虫」に書いてあります）

で、現在のスタイルになったそうです。わたしは２００４年度から５年間毎週出演し、毎週取り上げる本を読んでいました。番組加入当時はスタッフの方に「無理して全部読まなくてもいいから」と言われましたが、わたし自身が「読まなくては、あの席には座れない」という気持ちでいました。だから今週は厳しい、と思う時も、とにかく読みました。無理して読みました。

しかし無理して読むのはあまりよくありませんね。でも無理したからこそ、今があるのだとも思います。
必要な無理、かもしれません。

児玉さんにも「いつか挫折するかと思ったけど、しなかったね」と言われました。そしてサブ司会からメイン司会へうつる時、不安なわたしの背中を押してくださいました。

寂しさは消えませんが、前に進んでいかなくてはなりません。時間は続いています。ブックレビューも続いています。わたしも続いていかなければ。今週土曜日の放送、よかったら見てくださいね。

      
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   <title>梅雨ですね。</title>
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   <published>2011-06-12T17:02:56Z</published>
   <updated>2011-06-12T17:08:12Z</updated>
   
   <summary>東京は梅雨の最中です。蒸し暑いような、肌寒いような、判断のつきにくい気候が続き、...</summary>
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      東京は梅雨の最中です。蒸し暑いような、肌寒いような、判断のつきにくい気候が続き、寝間着の種類に迷います。
今のところは、長袖、長ズボン。素材はコットン。寝る前は長袖だと蒸す感じがあるのですけど、明け方は少し冷えるので、風邪をひかないためには、こうするのがよいかと思います。

どうかみなさんも風邪をひかないよう、大事になさってくださいね。
      
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   <title>ありがとうございます。</title>
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   <published>2011-05-30T16:31:18Z</published>
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   <summary>ニュースにも書きましたが、日本経済新聞の「喪友記」に児玉清さんへの追悼文を書きま...</summary>
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      ニュースにも書きましたが、日本経済新聞の「喪友記」に児玉清さんへの追悼文を書きました。５月３１日、本日掲載予定です。
短い文章です。当初は思い出されることが多すぎて、何を書けばよいのかと迷いました。何より追悼文を書くことが辛く、ご依頼をいただいた時、今のわたしに書けるかどうか、と受けることも迷いました。

でも受けることにしました。児玉さんへの感謝の念をこめて書こうと決めました。

一行目を書き始めたら、あっという間に書き終えました。ほとんど迷いなく、書けました。
書き終わってから泣き、ゲラが戻ってきて「一行アンダー（足りない）」ということで、書き足す作業を行いながらまた少し泣き、ゲラを新聞社へ戻した時には、もう涙は止まっていました。

ここ数日、児玉さんを応援して下さった方からメールやお手紙をいただきました。「ファンの自分がこれほど悲しいのだから、中江さんはもっと辛いのでは」と心配してくださる内容ばかりです。
そんな風にわたしのことまで心配して下さる方がいて、本当に心慰められます。また児玉さんが多くの方に愛されていたことを感じることで、とても変な言い方ですがうれしくなります。

本当にありがとうございます。





      
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   <published>2011-05-23T17:14:29Z</published>
   <updated>2011-05-24T02:16:04Z</updated>
   
   <summary>児玉清さんが亡くなって、一週間がたちました。 いまだ実感がありません。目を閉じれ...</summary>
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      児玉清さんが亡くなって、一週間がたちました。

いまだ実感がありません。目を閉じれば、児玉さんの笑顔が浮かび、笑い声も聞こえてきます。これほど鮮明に浮かび上がる姿が、現世にはもういないということを、心が納得してくれないのでしょう。

思い出されることがありすぎて、涙とともにそのすべてが流れてしまうのが怖くて、児玉さんとの会話、思い出されるエピソード、そしてその時々に感じたことをひたすら書きとめています。書きながら、わたしにとって児玉さんはどういう方だったのか、を考え続けています。

先週のラジオでわたしは児玉さんのことを「（勝手ながら）同志だと思っていた」と申しました。
芸能界での大先輩、偶然にも誕生日が同じだったという縁、読書家、親子ほど年は離れていたけれど、お話ししている時は年齢差をほとんど感じませんでした。そしてご一緒に司会をしている時、何も言わなくとも伝わるものがありました。なぜだかわからないけど、とても近しい方とお慕いしていました。

児玉さんは光のような存在でした。ご自分が一番輝ける場所を見出し、ご自身の力で光を放っている方。そこにいたるまでの道のりは決して楽なものではなかったと想像します。でもそんな苦労を感じさせず、「湿っぽいのは嫌なんだよ」と明るくカラリと昔話をしていました。
わたしはその光に勇気を与えられ、励まされました。
わたし自身、２０年ほどこの世界で仕事を続けながらも、いつも迷いがあります。「これでいいのか」と何をするにも自問してばかりで、辛い時期が続きました。それは今も同じです。
児玉さんの光は、こんな情けないわたしを肯定してくれました。
児玉さんはいつもおっしゃっていました。僕は情けなくて意気地なしなんだ、と照れたように笑っていました。そして読書に救われたとおっしゃっていました。
自問しながらも、前進していく。児玉さんはそんな風に生きてこられたのだと感じました。そうして児玉さんはご自身の場所で光を放たれているのだと。児玉さんの光の場所は周囲に似た光のない、むしろ闇の中で、だからこそ光がまぶしく輝く場所なのだと想像します。

生きる苦しさ、辛さを忘れるのではなく、それらから逃れずに進むしかない。児玉さんがそうしてこられたのだろう生き方を踏襲し、自分の弱さから逃れずに生きよう、と励まされました。そうしてわたしも自分の光が一番輝く場所で自分の光を灯したい、そう思いました。

児玉さんはいなくなったけど、児玉さんが灯してくれた光は永遠に存在し続けます。そしていつもその光を感じることができます。児玉さんのお姿は見えなくとも、たましいはそこにあり続けます。

悲しみはこれから先も、時間が経つごとに波打ってくるだろうと思います。その悲しみから逃れずに、児玉さんの光を励みに、大事に灯しながら生きていかなければなりません。それこそがわたしの児玉さんへのせめてのあかしで、感謝の思いです。

出会えて幸せでした。今も幸せです。

心配して下さったみなさん、本当にありがとうございます。皆さんのメールを読んで、何度も涙しました。こんなふがいないわたしを励まして下さる方がいるありがたさをかみしめています。おひとりおひとりに答えられずすみません。本当にありがとう。


      
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